プロ野球ニュース

野球ファン、野球ヲタ、野球大好き人間なら、
一度は見た事がある番組だと思います。

私など、生まれて直ぐ?の佐々木信也が月~金。
みのもんたが、週末を担当してた頃から
見ております。

で、若い方は(てゆーか、私も充分過ぎるほど、
若いけど)覚えてないかも知れませんが、
日本シリーズが終わった後、オフ企画として、
様々な事をやってました(やらせれてた?)
例えば、バットマンが行く、例えば12球団対抗
クイズなどなど・・・

そんな中、オフの名物企画の一つに、
『わが故郷』(確か水曜日だった)
と言う物がありまして、
選手が自分の故郷へ帰り、地元の名産や地元の名物、
昔の恩師などを紹介するコーナーだったんですけど・・・

そうなんです。ここで紅陵と結び付けますが、
あれは90年の11月だったと記憶してますが、
小川博文の回がありました。
(ちなみ、この時の司会は野崎昌一と須田珠理で、
中井美穂は週末担当だった)

実は先日、部屋を整理してたら、これを録画した
ビデオが出て来たので(紅陵ファンの仲間には、以前
無理矢理?貸しましたが(笑))
見た内容を思い出しながら紹介しようと思います。

当然?スタートは館山駅から!
が、小川は当時秋季キャンプで沖縄へ行っており、
関西テレビのアナウンサーが代わりにレポート
してました。
場面は館山駅から海へ、そして館山城。
ここで?小川のお母さん登場。子供の頃の小川を語る。

小川母『子供の頃は、喘息持ちで5年位医者通いしてた半面、
地の果てに鯉のぼりが見えると、とにかくそこへ向かって
一目散で走って行く子供だった』
また野球については『本来小学校4年からしか入れない、
学校の野球にチームに、小川は良く打つから入れよ!
と言われ、小学校3年からチームに入り、そこから野球に
夢中になり、小学校6年の作文にはプロ野球選手になる!
と・・・』

またも場面は変わり、バックに海で中学時代のチームメイト登場。
館山二中?のチームメイト『小川は大人しい中にも、やる時はやる!
って感じで黙って俺について来い!』タイプだったと語ってました。
(てゆーか語らされてた?)

ここで場面は紅陵へ(正門アップから紅陵Gへ)
小枝監督登場。
『小川は練習試合なんかでも必ずテーマを持ってやっていた。
例えば、そのシーズンの試合はノーエラーで行くとか・・・
自分の目標を常に持っていた』
『で、そのテーマが崩れたら、ゲームの大勢に関係なくても、
ご飯を食べない・室内に行って仲間に永遠ノックしてもらうなど、
良い意味で、自分に不満を持って向上心を忘れなかった』
と言ってました(確か)

他には
『3年になって3番を打たせて、最初は全然飛距離がなかったが、
ある時中距離を狙わせたら、凄く飛距離が伸びてきた』
とも言ってました。

今度は坂巻さん登場。
『小川は試合でも練習でも野球を夢中にやっていた。
自分から見ても、小川はプロへ行ってもおかしくない
存在で、昔からやたら勝負強かった』と言っておりました。

場面は沖縄へ。ついに小川登場!
小川が紅陵を選んだのは
『当時(館山二中時代)のエースの子が(佐野さん?)
紅陵に行くので、野球部の監督さんに「小川も行け」
の一言で紅陵に行くのを決めたと言ってました)
坂巻さんについては
『真面目だった。とにかく俺と違って真面目だった』
小枝監督については
『顔見たら優しそうでしょう(ここで関テレのアナ頷く)
ダマされたらアカンですよ(ここで小川笑いながら、言ったら
マズイかな(笑))怖いですよ!あの人!どう怖かったと言うと、
とにかく怖かった(笑)野球の前に人間形成があって、
野球の技術より人間としての行き方を教えられて、
今でもそれが凄く残ってる』
と振り返ってました。


意味無く長々書きましたが、ビデオを思い出すと、
こんな感じが(うろ覚えですいません)
小川博文の『わが故郷』でした。