涙と汗との優勝めざし~歌おう胸をはり僕らの歌を~甲子園を夢見る男闘呼のドラマ~この手でつかむぞ深紅の旗~メイプルパワーで今日も嵐を呼ぶぞ~燃えろはばたけ~勝て!勝て!勝て~

14日の続きになりますが、
飯田哲也小川博文への印象は、
前回書いた物で全てでした。

で、今日は当時のライバル?
印旛高校の土橋勝征について
語ってるのを紹介しようと
思います。

土橋勝征
何かの縁だよね(笑)
だって高校最後の夏決勝戦で対戦した選手と
今こうして同じユニフォーム着て戦っている
んだから。
あの頃、「印旛の土橋」といえば、千葉県の
高校野球ファンなら知らない人はいないと
言ってもいいくらい、名の通った有名選手だった。

1年生のときからレギュラーで活躍してて
よくチームメイトと「すげーよな」って噂
してたんだ。
1番バッターのくせしてホームランばっかし打つし、
走・攻・守三拍子揃った要注意人物だった(笑)
でもウチのチームもあの時は春の関東大会で
優勝して【東の横綱】なんて騒がれてたくらい
実力のあるチームだったから負けない自信は
あった。

今思い出してみても自信を持って【強い】と言える、
そんなチームだった。
ピッチャーは安定していたし、打線の方も幸彦
(佐藤=現ロッテ)が4番で僕が7番打つくらいだもん、
そりゃ油断できない打線だったよ。
結局、最後の夏は決勝戦で印旛に8-0で勝って
甲子園出場できたけど、その後2人ともヤクルトに
指名されて入団発表で顔を合わせた時は、
お互いにもう顔知ってたし、思わず決勝戦のときの
話をしたよ(笑)


ちなみに(ここからは私ですが)この記事は、
ヤクルト人気絶好調時の平成7年初夏頃?
発売の某誌(プロ野球版・輝け甲子園の星?)
より書きました。
年が明けたと思ったら、もう19日経つんですね。
ここ数年、5年前は3月、それ以外の4年は2月中に
紅陵詣で?してます。
今年も日程は未定ながら、2月中?に元気に甲府を、
そして甲子園を目指す、紅陵球児を見に行く
予定です。