立川隆史選手(紅陵→千葉ロッテ→阪神)

今日も、飯田選手の思い出2を書こうと思いましたが......一昨日、阪神球団から解雇選手の発表があり、ハムの高橋選手に続き、またも紅陵戦士が......

お兄さんの後を追い(篤さん。紅陵→千葉工業大→昭和コンクリート?)全日本シニアの4番として、大きな期待と共に入学。多分、公式戦は91年秋からだったと記憶していますが、ズシリとした構えから右に左に大きな当りを飛ばし、紅陵卒業時紅陵史上初のドラ1にてプロ入りも充分可能そう思っていました。

立川選手と言えば、ある意味全国に紅陵有りを印象づけた?74回の準々決勝・池田戦でしょうか。夕闇迫る甲子園に夢と希望を乗せた白球がレフトスタンドへ......私が持ってる紅陵好灰譽ションの中でも、一番多く再生させたシーンだと思います。

それ以外に、私の中では「投手・立川隆史」の記憶も残っています。確か、93年の春県・船橋法典戦だったと気がしますが(自分で観に行ったんですけど)投手として登板(確か)大きなフォームから(野手投げ?)凄いボールを放り、やや曖昧ですが15個近く三振を奪ったのを薄っすら覚えています。あと、これも実際観に行ったのですが、最後の夏、市原臨海のレフトスタンドへ物凄い弾道の低いライナー性のホームランを打ったと思いますが、あれっレフトライナー?と思った打球が伸びて...スタンドイン!!記憶に残るホームランでした。

ドラ2で地元ロッテに入団。球団からの期待も大きかったと思います。97年には一軍に定着して、ホームラン7本?その後もファームでタイトルを取ったり、山本元監督から4番に抜擢されて......マリンの星へも......

素人の考えでは、まだ30。これからも、まだまだやれるとは思うのですが...
立川選手。お疲れ様でした。次なる舞台でも頑張って欲しいです。