オリックス小川、4年ぶりのユニフォーム。

紅陵野球部で、一番最初に甲子園でホームランを
打って(56回センバツ智弁学園戦)
紅陵野球部で、唯一オリンピックに
選出された(S63、ソウル大会)
小川博文が、2004年ベイでユニフォームを
脱いでから、実に実に4年ぶりにオリックス
コーチに就任したようです。
(背番号73・SU育成コーチ兼野手コーチ補佐)

ベイを退団後、オリックスに戻り、確か球団本部
育成担当?なる肩書きで、球団職員として働いてたと
思いますが、紅陵時代から小川を見てる私としては、
いつの日か、いつの日か、球団はどこであれ、
指導者として、ユニフォームを着て欲しいと思ってたので、
またまた凄く嬉しいです。

イチローが入る前のオリックスでしたから、
やたら地味な球団でしたが、後輩の飯田より早く、
オールスターに出場したり、飯田より早くベストナインにも
選出されたりと、飯田ほど派手じゃないにしろ、
プロとしては、合格と言える成績は出してたので、
(確か通産安打も1400本位打ってるはず)
今度は、指導者として小川二世を育ててもらいたいです。

余談ですが、95年・ヤクルト-オリックス日本シリーズ
やりましたよね(ちなみに私は神宮の第三戦を見に行ってた。
オマリーと小林の14球のゲームです。小川・・・打ったんですよね。
その試合でホームラン)
で、ヤクルト優勝した後、日刊スポーツ増刊で、
「ヤクルト日本一」なる特集号が発売され、
その中に、飯田と小川の特集が組まれてます。
『シリーズ人間模様・拓大紅陵同窓負けれぬ』
一部記事を紹介しますと・・・・・・・・・

11年前、拓大紅陵に入学した飯田は、二塁を守る
3年生のプレーに舌を巻いた。
「すごすぎる。自分と同じ体が小さいのに、
打撃はパワフル。守備や走塁も高校生離れしていた」
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オープン戦などヤクルトと対戦した時
「どんなバットを使っているか」とか
「あの投手はどうすれば打てるのか」など
、小川は飯田に質問攻めを浴びせる。
オリックスのベンチにあいさつに行くと、
なかなか解放してくれない先輩を見て飯田は
「負けず嫌いの小川さんらしいな」と
苦笑いするだけだった。

2人を指導してきた拓大紅陵の小枝監督は
「真面目で努力家の小川に対して、飯田は
天才肌の選手だった」と、高校時代を振り返る。


コーチになっても頑張れ小川!