2005-01-01から1年間の記事一覧

佐藤幸彦選手(紅陵→ロッテ)

とにかく私のイメージは、デカイ・大きい最初にこの二文字が浮かびます。大柄な体格からバットを長く持ち上段の構え。典型的な長距離ヒッターだったと思います。と言って、大砲にしては小技が上手くライトへも綺麗に流したり、私が実際に見た試合では三振も…

飯田哲也選手2

数々の、紅陵野球部からプロ入りした選手がいますが、多方面から見てイメージ・記憶・インパクトの部分では、飯田選手が一番かと思うので(個人的にプロではスワの大ファンなのもありますが)飯田選手のプロの思い出を。最初に、ヤクルト・飯田哲也を観に行っ…

立川隆史選手(紅陵→千葉ロッテ→阪神)

今日も、飯田選手の思い出2を書こうと思いましたが......一昨日、阪神球団から解雇選手の発表があり、ハムの高橋選手に続き、またも紅陵戦士が...... お兄さんの後を追い(篤さん。紅陵→千葉工業大→昭和コンクリート?)全日本シニアの4番として…

高橋憲幸選手(紅陵→日本石油→日本ハム)

飯田選手の思い出2を書こうと思っていましたが...... 紅陵ファンの中では、歴代最強チームと今でも語り継がれてる?88年夏の甲子園出場時のエース、高橋憲幸さんが、昨夜、日本ハムから戦力外通告を受けました。残念です。 紅陵歴代左腕の中では、最…

飯田哲也選手(紅陵→ヤクルト→東北楽天)

紅陵を代表するプロ野球選手といって、最初に浮かぶのは、この方でしょうか。今の、ネット時代と違い、昔は一般的に出回る裏情報と言うのが、中々なかったと思いますが、その中で私は飯田選手入学後、知人を通して、「調布の神代中から凄い選手が入ったよ。…

小川博文選手(紅陵→プリンスホテル→オリックス→横浜)

紅陵から最初にプロ入りしたのは、飯田・佐藤の昭和61年春夏連続出場コンビでしたが、紅陵入学順で言うと、そのチャンスを最初に掴んだのは小川選手。私が、最初に目にしたのは58年の春県の準決のテレビ中継でしたが(当時は2番セカンド)小柄ながら、上…

たいせつな仲間(ネット仲間)

私が、ネットデビューしたのは2000年。正直、ネットには全然興味がなく、勿論この類には大変知識が薄く、単純に仕事で使わざる得ないのでが使い始めたきっかけでした。 多分、2000年の11月頃だったと記憶していますが、どうしてそこのサイトへ行っ…

たいせつな仲間(紅陵ファン)

ネットの普及により、様々な高校野球系ホームページがありますが、私も、ネットを通じ沢山の紅陵ファン、高校野球ファンと出会えました。あるサイトでは、二人の方と知り合う事が出来て、今でもとても仲良くしてもらっています。一人方は、紅陵のお膝元に住…

はじめての紅陵球場

はじめて紅陵球場に行ったのは、これも今から22年前近くの、昭和58年5?6?7?月頃だったと思います。イヤー、驚きましたね!!両翼92m?センター120m位だったと思いますが、当時あれだけの設備を誇る学校は多くなかったと思います。子供心ながら…

はじめての甲子園

はじめて甲子園球場に行ったのは忘れもしません。昭和59年3月27日?(忘れてる)第56回センバツ高校野球大会二日目・第二試合、紅陵vs智弁学園を応援バスツアーの一員として参加しました。確か、前日の20時頃?木更津を発ち湾岸・首都高・東名・名神を乗り継…

はじめての天台

千葉県営天台球場。正式には、千葉県総合運動場スポーツセンターだっような...? 千葉県高校野球界の聖地・通称天台球場には、昭和58年の7月にはじめて行きました。 それまで、テレビを通しては何十回・何百回と見ていましたが 言うまでも無く、紅陵の試…

紅陵野球部

昨日、紅陵野球部を応援するようになったのは、昭和58年の春からと書きましたが、一応注目したのは前年57年秋に、おそらく紅陵野球部で最初の県大ベスト8進出かと思いますが、この時に当時千葉で最強と言われてた印旛高校に善戦(0-2?)したのを機に注目し…

私と紅陵

紅陵野球部を応援するようになったのは、1983年春の千葉大会を見てからでした。当時の千葉テレビは、夏は勿論、春秋も準決・決勝とテレビ中継をしていて、準決の東葛飾・決勝の印旛戦をたまたま見ていて、そこから現在に至るまで紅陵野球部にはまっています…

本日、開設しました。

こんばんは。千葉の拓大紅陵野球部大ファンです。タイトル通りに、心から、その日を夢見ています。紅陵野球部以外にも、高校野球は全体的に大好きで、完全なる野球ヲタです。当然、プロも大好きで、プロはヤクルトスワローズのファンです。野球(紅陵)を中心…